レンタカーでドライブ


エピソード

5月△日 カプチーノ事件 その3
メルボルン大学で知り合った日本人の研究員(仮にAさんとする)の話。彼はオーストラリアで日本人向けに発行されている雑誌に日本人が外国でカプチーノを注文すると「カップ オブ チィー (cup of tea)」に聞こえて紅茶がでてくる、という記事をみて、「そんな馬鹿なー」と夫婦で笑ったそうである。しかし、5月△日に彼らは身を持ってこれを体験し、落ち込んでいた。私はカプチーノの最後の「ノ」を大げさにいうので、このような体験をしたことがない。

6月◇日 カプチーノ事件 その4
これは英語の家庭教師に聞いた話。ある日本人女性が紅茶を注文した。彼女は「Cup of tea」ときちんと発音したのであろうが、その後に「you know? (分かりますか?)」というよけいなものを付けたばかりに、カプチーノを飲む羽目になった。
・・・・何か苦しいギャグのようですが本当の話。

7月9日 私はマイケル(Michael)というアメリカからきた研究員と仕事をしていた。6月の末、私は今使っているのとは別の実験装置を使う必要が出てきたが、この使用方法がかなり複雑であり、マイケルにスチーブンという学生を説明役として紹介してもらった。スチーブンの英語はめちゃくちゃ早い。途中、私が彼の半分以下の速度で質問をするので、「もっと遅く話してやろう」などと気の利いた行動があっても良さそうなものであるが、結局スピードは変わらなかった。それでも分からないところはしつこく聞き返し、何とか理解した気持ちになった。
7月10日の朝、例の装置を使おうと隣のビルに向かって歩いていた途中で、スチーブンに出会った。彼は「例の装置の一部が外れかかっているので、テフロンテープで固定して使え、詳しくはマイクが知っているので彼に聞いてくれ」と言って去っていった。「誰だ、マイクとは?」と思ったが「まあいい、実験室にいるのだろう」と安易に考えた。
 実験室に入って、2、3人が座っていた部屋で「マイクはいるか?」と聞いた。すると1人が、「いや、今いない。彼は背の高いアメリカ人だ」と教えてくれた。「Thank you.」と答えたものの、「どうすればいいのだ、背の高いアメリカ人という特徴でマイクという人物が探せるのか?大体オーストラリア人とアメリカ人の違いはどうやって見分けるのだ?」と自問自答した。別の部屋で同じ質問をしたが、「いや、いない」という素っ気のない返事のみが返ってきた。「これでは何も解決できない。マイクなんかあてにせず、自分でテフロンテープを探そう」と思い、たぶんテフロンテープと思われるもので装置を固定し、実験を開始した。
 10分くらいしてスチーブンが様子を見に来て、「そうそう、それでいい」といってくれたので安心し、マイクのことは忘れかけていた。30分後、今度はマイケルがやってきた。彼は「僕を捜していたらしいが、なんだい?」と言った。「ん?」、と思ったが思い当たらなく、「いやマイクを探していたんだ」と返事をした。マイケルは少しむっとした顔をして、「僕がマイクだ。」と答えた。
 Michael=Mike は当然かもしれない。でも、私の通っていた中学校は「Total English」というマイナーな教科書を使っていたので、Mikeというのは登場しなかった。BobやTomなんてのも出てこなかった。スタニスラスとか、他は忘れたが、マイナーな名前が多かった。

7月21日 この日は家族3人で買い物に出かけ、午後4時頃帰路に向かった。トラムという路面電車を降り、アパートの近くの通りの角を曲がった瞬間、40歳後半くらいの小太りのおじさんに遭遇した。彼は我々をにらみつけ、口を開いて低い声でこう言った。「Loverly day.」 あまりに急だったので一瞬戸惑ったが、「いい日だな」といっているのではないか。「Oh! Yes.」といってすれ違ったが、いったい何だったのだろう。

4月20日〜7月2日 Who is David Power?(誰がデイビット パワーか?)
メルボルン大学に初めて行ったときからの疑問があった。それは、「誰がデイビット パワーか?」ということである。実はメルボルン大学に行く1ケ月前に、メルボルン大学に1年間留学されていた通産省の研究官の方から、現地の様子を色々と教えていただいていた。住まいのこと、交通のこと、オーストラリア人について、などなど。その方は最後に、「化学工学科にデイビット パワーという大学院生がいるが、彼は色々と困ったときに教えてくれる」と言われた。「そうか、そんな心強い学生がいるのか」と思ってメルボルン大学に来たのだが、4月24日のみんなの自己紹介ではその人物を特定できなかった。名札をつけているわけもなく、ずっと「誰がデイビット パワーか?」、謎だった。その話を私と同時期にメルボルン大学に留学されていた通産省の方に話したところ、「ああ、それなら知ってる。引越しのときに手伝ってくれた人で、『僕はデイビットでBoger先生のところに所属している』と言っていた。」ということで、さらに「彼には別のビルに持ち部屋がある(学生に持ち部屋?と思ったが)」とのことで、その部屋の前まで確認しに行った。その部屋をのぞくと、そこには4月24日の自己紹介のときに私がメモに「ターミネーター」と書いた男性が座っていたが、ドアには「David Dunstan;デイビット ダンスタン」と書いてあった。「違うじゃ〜ん」 結局、この日も謎が解けることはなかった。
ある日、私は毎週木曜日に2〜3の研究室が合同でセミナーをしていることを知った。これは毎回2人の大学院生が自分の研究の進捗状況をプレゼンテーションし、質疑応答するもので、化学、化学工学、数学の研究者が集まり、非常にレベルの高いものであった。5月21日にもデイビットという学生がプレゼンをしたが、Nievandというfamily nameであり、また化学工学の学生ではなかった(私のメモでは目つきの鋭いDavidと書いてある)。このセミナーに参加するようになって3週目頃に、プレゼンをする順番が書かれた紙を手に入れた。何とそこには「2nd July Dave Power」と書いてあった。7月2日になれば「誰がデイビット パワーか?」が判る。その日を楽しみに毎日を過ごした。当日、謎は解けた!「彼がそうなのか。」 私のメモには「金髪の男」としか書いていなかった。しかし、メルボルン大学に来て2ケ月以上が経過し、もはや彼に取り立てて聞くことはなかった。
 この話を留学中の通産省の方に話したところ、「彼か〜」という反応だったが、「でも彼はDave Powerだが? David Powerなんだろうか?」と一瞬不安になったが、これはMike=Michaelの件もあったことで、すぐに納得できた。

 メルボルンのシティーで


7月のある寒い日(南半球なもんで) この日は実験室に学生がほとんどいなかった。私はこの頃、朝から夜までずっと実験をしていた。すると電話がなった。これまで誰かは実験室にいて、私が電話を取ることはなかったが、そのときは私1人。無視していたが何度もかかってくるので電話をとった。「Hello!」に続き、「○○はいるかい?」みたいな感じで男性が話してきた。○○は研究室のメンバーで、私は彼女が別の棟に行ったことを知っていたので、その旨伝え、そこの電話番号を教えようと番号帳を調べ始めた。その日は寒い日だった。そのとき男性は「ハウ オールド」と話してきた。何で急に歳を聞いて来るんだ。ん? 彼は私の歳ではなく、電話で話したい○○の歳を聞いているのだろうか?判らん。そこで「Me?」と聞いてみた(文法的にはおかしいかも)。するとその男性は「Today」と答えた。

教訓....寒いは「コールド」と明確に聞こえない。


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