<発表タイトルと概要> The Combined Use of Polyanionic Surfactants (PSS+PSA) for the Preparation of Coal Water Mixtures Takashi Saeki, Hiromoto Usui ABSTRACT 行方不明 ![]() <とにかくはじめて。でも先生と一緒だったので安心だったはずが...。> 博士課程1年で行った実験をまとめ、この学会で発表することになった。教授からは「当面(10年くらい)日本語で論文は書くな」と言われていて覚悟していたが、やはり大変だった。論文を提出したのち、開催者側から「発表者の心得」みたいなものが送られてきた。分からない単語を1つ1つ辞書で引き訳したところ、「原稿を用意してだらだら読むような発表はダメです」、「時間内に明快にまとめましょう」などと、発表についてのことが事細かに書いてあった(これが最初で最後のような。最近はそんなもの入っていないが...)。その心得を肝に銘じ、何度も発表原稿を見直し、それを暗唱した(懐かしい言葉...)。 ウーロンゴン大学はシドニー近郊の田舎町で、シドニーに一泊した後、在来線のようなのんびりした鉄道で数時間かけて移動した。タクシーやホテルでの会話も教授まかせで、楽な旅だった。発表当日、先生とウーロンゴン大学にタクシーを乗り付け、発表に備えた。 発表は緊張していたが練習の成果もあって順調に話せ、発表時間内に終了した。そして質疑の時間になった。前列の男性が何かを聞いてきた。しかし、私には全く聞き取れなかった。質問が英語でされたのかどうかも分からなかった。私が棒立ちになっていると、教授が「共同実験者です」と代わりに答えてくれた。教授の英語は100%分かるのに。その他、2、3の質問があったが、やはりほとんど分からず、最後まで棒立ちであった。これより約2年前にTOIECを受けたが、そのときは550点くらいだった。しかし、全然役に立たなかった。そのことがすごくショックだった。 国際会議が終わり、再びシドニーに戻った。飛行機の関係でここに3日間滞在する計画であった。シドニーの駅に戻ってきたとき、先生は「では2日後に会おう、最終日のホテルは今から予約しよう」と電話をかけられ、「OKだ。じゃあ」と手を振りながら人ごみに消えていかれた。私は1分くらい真っ白になって駅に立っていた。 持参していた粗末なガイドブックと英会話の本で何とか粗末なホテルに転がり込み、ひととおり町を回ったが、あまり面白くなかった2日間であった。 3日目の昼に、予約されたホテルで先生と再会した。ホテルの部屋で先生が「佐伯、○○には行ったか? ここでこれを買ったぞ。」と買ったものを見せられ、何かすごくむなしく、腹立たしかった。 帰りの飛行機の中で、「言葉を知らずしてその国に旅行しても、全くつまらん」と痛感した。すると、飛行機の席の前方の人が広げて読んでいた新聞に「アルクの1000時間ヒヤリングマラソン」の広告が載っていた。「これだ!」と思い、手帳に「ヒヤリングマラソン」とメモって、帰国後に親に頼み込んでこの通信教育教材を買ってもらった(3万円強)。 それから、毎日3時間、とにかく徹底的に英語を耳に入れた。1日3時間といっても、1日サボる(つい寝てしまう)と次の日は6時間聞かなくてはならない。夏に研究室で海水浴に行ったときは、泊まったテントの中でも聞いていた。確かに効果はあり、3ケ月で変化が自覚でき、6ケ月で早い会話が単語で聞こえるようになり、10ケ月過ぎたあたりで、かなり判るようになってきた。 でもって、ウーロンゴン大学でのかたきを取るために?、翌年、新婚旅行はシドニーに行ったのである。 ヒアリングマラソンの結果、TOIECは何点上がったのか? それを知るのが怖くて、今も受けれない。 |
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