<私の発表タイトルと概要> Ship Transportation of Coal Water Mixtures Hiromoto Usui, ○Takashi Saeki, and Tsuyoshi Chuman (山口大学) Department of Chemical Science and Engineering, Kobe University, 1-1 Rokkodai, Nada, Kobe, 657, JAPAN Harumitsu Yanagimachi (日揮株式会社) No.2 Project Div., JGC Corporation, 1-chome Bessho, Minami-ku, Yokohama, JAPAN ABSTRACT The sedimentation of coal particles occurred during the ship transportation is most severe problem in the CWM transportation processes. Possible mechanism of particle sedimentation under shear is discussed in this study and some modification of tank shape in a CWM tanker to improve the sedimentation stability is proposed. <私の発表に対する質問> 鹿児島大学の先生から、CWMの調製方法に関する質問が1件。pH調整の有無について。pH調整は粒子分散系の凝集分散特性に与える影響が大きく、これにより多糖類による添加剤の効果に違いが起こるのではないかというあたりの質問であった。 <国際会議での一コマ> ●参加者 インドネシアで行われたインドネシア主催の国際会議で、インドネシアの研究者の発表も多くプログラムに載せられていたが、当日キャンセルの発表(時間になっても発表者が現れない)が多かった。参加者はやはりインドネシア人が多かったが、日本人も全体の3割くらいいたのではないかと思う。私が別のセッションの会場に聴講に行ったとき、発表開始5分前で、会場には10数人の聴講者とスタンバイ完了の発表者がいたが、全員日本人で、「日本語でしようか?」と冗談を言って日本語であれこれ雑談をしていた。するとインドネシアの大学の先生が座長として入室され、「それではみんな英語で話そう」という感じであった。私が発表したときは結構バラエティーに富んだ国籍の聴講者がおられたが、質問者は前述の鹿児島大学の前田教授だった。実は前田先生にインドネシア内をあちこちご同行させていただいていて、発表時には英語で話し、なんとも...という状況であった。 ↑ プランバナン寺院遺跡群(ヒンドゥー教寺院) ●国際共同研究の打ち合わせ 国際会議の途中、インドネシアのバンドン工科大学のSuwno教授と研究室の大学院生、および鹿児島大学、山口大学でインドネシア炭のスラリー化技術についての国際共同研究の打ち合わせを行った。↓ <インドネシア ヨグジャカルタとは。行って感じたこと、あったことなど> 広島空港からシンガポールエアラインでジャカルタまで飛び、そこから国内線(ガルーダ)に乗り換えた。ジャカルタでとりあえず現金7000円を両替。なんと13万6500ルピアという高額に代わり、なんだかお金持ちになったような気が、といっても7000円ですが。暑いのでアイスクリームでも買おう、と思い、いくらか聞くと1600ルピア、「えー、1600円もするの。いや1600ルピアか」、計算すると80円。その後、少し怖かった国内線でヨグジャカルタ空港に到着。空港からホテルまではタクシーで。タクシーにはメータがなく、乗車時に行き先を告げて先払いする。タクシー代は7000ルピア。「えー、7000円もするのか。いや7000ルピアか」13万6500の内の7000というのは大きいのかどうなのか、タクシーに乗って計算すると350円だから安いんだな、と安心する。夕食に1万5900ルピアの焼き飯を食べ、1000ルピアのチップをホテルのボーイにわたした。それぞれ795円、50円。とにかく扱うお金の桁が大きいので、近くのデパートでノートを買って、家計簿を付けることにした。買ったのは『サンリオのケロケロケロッピー』のノート。インドネシアで作っているんだ。町で話されている言葉はインドネシア語であったが、英語で話しかければほとんど問題なく、通りかかりの人が英語で通訳してくれることもあった。 学会にもツアーが組み込まれており、おみやげ売り場などにも結構行って、あれこれ買い物をした。銀製品が産物のようで、店員が「美智子様のブローチ」と盛んに宣伝していた。おそらく皇后陛下が立ち寄られたのであろう。ご一緒した機械工学科の先生はブローチの値切りにかなりのパワーを使い、「やった○○ルピア負けさせた」と言っておられたが、日本円にすると20円くらいだった。数百円のブローチを買うのに数十円負けさせていたことになる。数十円でも店員にとっては大変なことだったみたいである。 日本刀とは似ても似つかない日本刀を路地で売っている若者がいて、「私は日本人だが、この刀は日本刀とはだいぶ違う」と教えてやると、突然日本刀を抜いて「腹きり、腹きり」といって切腹のまねをしてみせてくれた。それはそれで面白かった。1年ばかりやっていた居合(いあい)の型を見せてやった。 かばん屋で旅行かばんをなんとなく見ていると「いま展示会(Exibition)をしている、是非行ってみてくれ」と長身の男性に誘われ、「ついて来い、さあ」というので、「まあ展示会なら」と思って後ろを歩いた。するとだんだん小さな路地になり、何度もその路地を曲がり、それでもまだどんどん歩いていった。「おいおい」と少し抵抗したが、「もう少しだから」みたいな感じで小汚い建物の前まで連れて、そのかばん屋の男は「それじゃあ」みたいな感じでさっと帰っていた。建物からは薄気味悪い笑みを浮かべた初老の男性(画家らしい)とアシスタントの若い女性がいて、2畳くらいの広さの建物に飾ってある絵を見せてくれたが、端っこに「VISA、MASTER OK」と書いてあるのに気がついた。そのうち「どうだ、気に入ったか、100ドルでどうだ、なら80ドルでどうだ」と購入を迫られ、入口をふさぐように取り囲まれたが、「No」と叫んでその建物を後にした。まったく。 その後、近くに停められていた人力車に「どーも」と断りを入れて勝手に乗ったり、ボロブドゥール寺院遺跡群を観光したり、国際会議の夕食会を楽しんだり、盛りだくさんの会議でした。 ↑ ボロブドゥール寺院遺跡群 水道の水は飲めない、露店で飲食はダメ。ホテルのプールで泳ぐのも...。しかし、私にはすごくなじんだ国でした。この半年後、インドネシア各地で暴動が起きたようですが、またいつか行ってみたいような気がします。 7月27日にヨグジャカルタを後にし、ジャカルタへ。そこから帰国するのではなく、シンガポールエアーでなつかしのメルボルン(オーストラリア)に向かいました。 常夏の国から冬のメルボルンへ。 ![]() この出張も国際共同研究の打ち合わせと、別の国際会議に参加するためでした。 メルボルン空港での入国審査はすごく厳しかった。女性の審査官がオーストラリア英語ですごく質問してきて、そんなに私が怪しいのか、それともオウム以来、日本人を警戒しているのか、と当惑した。私の次は数人の女子大生風の日本人だった。「彼女らも私のような質問攻めにあったら、果たしてどうなるのだろうかと、足を止めて成り行きを見ていたら、「OK」と言われてスルーパスだった。なんだったのか? 私って怪しく見える?? |
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